出来る?出来ない?

個人的な私見としての話だが(そもそもblogはそういう私見を述べる場であるが)
最近技術的な話で明言を避けるようなことが多くなってきた。
確実に「出来るもの」は出来る・「出来ないもの」は出来ないと言えるが、「出来るかもしれないもの」に対しては今までなら「なんとかしてみせます。」と答えてしまうところを口を濁してしまうことが多くなった。
これは面倒だからやりたくないとかそういう話ではなくて、「出来るかもしれないもの」が変化したからだと思う。
今まで大学でやっていた課題は、必ずといっていいほど答えが用意されていて、その上課題として出す前に先生方や院生の先輩方がチェックしているので絶対に「出来るもの」であることが確認されている課題である。この中では「出来るかもしれないもの」というのは大半はしっかりと論理的に考えていけば間違いのないものを選びとれる。
しかし、新しいものを一から作るときには本当にそれが「出来る」のか「出来ない」のか分からない状態からスタートする(当たり前だ)。その時の「出来るかもしれないもの」というのは無数にあり、一つ一つが恐ろしく価値が低い(当然中には自分に問って価値の高いものが含まれていることもある)。それがピンポイントを付いているものなのかは僕にはまだ判断出来ないことが多い。

こういったことを学生のうちに知れて本当に良かったと思う。